ごあいさつ

はじめまして、ビルかんの作詞・作曲・ヴォーカルを担当しております、
松島 隆紀と申します。よろしくお願いします。

この度は、ビルかんのホームページを見て頂いてありがとうございます。
『ビルかん』とはバンド名ではなく、私が今から約30年くらい前の高校生のときに作詞・作曲をし、
自宅の押入れに約25年くらい眠っていた楽曲をCDにして、今の世に発表することに協力して下さった皆さんの総称です。

プロフィールにも書きましたが、当時私は音楽理論も知らず、譜面も読めず、楽器も弾けませんでした。(それは、現在も同じです。)
ただ、ひたすらに自分の感覚を信じて、独学で作詞・作曲をしていました。
当時は Aメロ、Bメロ、サビ という言葉さえ知らず、小学生の頃から聴いていた、
洋楽のチープトリックとかボストンの音楽を参考にして、まず作曲から始めました。

始めたころは、当然のことながら、まともな曲はできず、苦労に苦労を重ねて、
二年の歳月が過ぎるころ、ようやく曲といえるものができる様になりました。
そこで、困ったことが発生しました。せっかく曲ができても、歌詞がつかなければ、誰にも聴いてもらえないということです。
周りの友人や先輩の中に、詞を書いてくれそうな人は誰もいませんでした。
そこで、歌詞も自分で書くことにしました。

これが、また大変な作業で、当時人気絶頂だった安全地帯の作詞を担当されていた
松井五郎さんや井上陽水さんの歌詞を参考にして、独学で作詞を始めました。
私は曲を先に作って、後で曲のメロディに合わせて歌詞を載せるので、
曲という制約のある中で、ジグソーパズルの様に言葉を選んで、埋めて行き、
それらに全体として意味を持たせたり・主張を入れたり・世界観を与えたり・という作業に大変苦労をしました。

そうして、高校を卒業する頃には100曲くらい曲を作り、その内の40曲くらいに歌詞をふり、
本気で音楽で生きて行くことができないかなぁと思っていました。
しかし現実はとても厳しく、高校三年のときに友人達とバンドを組みましたが、ギターの友人は就職して東京に行き、
ドラムの友人も就職して、夜勤をやったり、不規則勤務で忙しくなり、バンドは自然消滅してしまいました。

それでも、やはり音楽がやりたいと思った私は大学に入り、そこで軽音楽部に入って新しくバンドを組もうと思っていましたが、
学部の都合で時間が合わなかったり、難しい人間関係があったりして、新たにバンドを組むことはできませんでした。
大学でバンドを組み、音楽をやることをとても楽しみにしていた私は大変な挫折を覚え、
次第に音楽の夢を捨てて、作詞・作曲もやめてしまい、歌詞カードも箱にしまって、
自宅の押入れの中に置いたままになり、 バイトに明け暮れる日々を送っていきました。

それから、約25年の日々が過ぎて、ふとしたことで、その自作の歌の事を思い出し、自宅の押入れをのぞいてみました。
すると、まだその箱は自宅の押入れの中にあったんです。心のどこかに音楽への想いが忘れられずに、とってあったのだなと思いました。

約25年間あけられることのなかった箱の中身は、ボロボロの手書きの歌詞カードでした。
当時、カセットテープに録音した曲もあったのですが、カセットは無くなっていました。
譜面の読めない私は、歌詞カードだけでメロディを覚えていたので、そのボロボロの歌詞カードを再び読んだとき、
メロディを覚えているか、自信がありませんでしたが、25年経った今でも、ちゃんとメロディを覚えていました。
一枚一枚、ボロボロの歌詞カードをめくって、一曲一曲メロディを思いだして、大変、懐かしい思い出に浸っていました。
そして、あの頃の純粋な想いが巡り、「やはり音楽がやりたい!」自分の作った楽曲をCDにして聴いてもらいたいと思いました。

そして、知人に「昔作った曲をCDにしたいんだけど、誰に相談したらいいかな」と聴いたところ、
「友人がサックスを習っているから、その先生に聴いてもらうね」 と言ってくれて、
その先生が、ビルかんの総合プロデューサーになってくれた、小濱安浩先生でした。
小濱先生は私が新たに吹き込んだ、アカペラだけのカセットテープを聴いてくれて、CD制作を引き受けてくれました。
初めて小濱先生にカセットテープを渡してから、約3年の月日が流れて、
ここに、ビルかんのファーストアルバムのー木馬ーが完成しました。
ついに私の夢が叶ったのです。
諦めなくて、捨てなくて本当に良かったと思いました。

ここからは、現在のそして未来の話です。
ビルかんのファーストアルバムー木馬ーは、一聴してすぐに解かる問題を抱えています。
「ヴォーカルが下手」という問題です。

これは、最初はプロの方に歌ってもらうという話で進んでいましたが、
様々な問題で、その方の都合がつかなくなり、新しいプロの方も予算の問題で頼むことができず、
結局、作詞・作曲をした私が歌うことになりました。
3日間に渡ってレコーディングの日は用意されたのですが、かなり練習してもなかなか私の歌は上手くならず、
ビルかんのファーストアルバムー木馬ーは、「ヴォーカルが下手」という問題を抱えたまま完成しています。

アレンジやバックの演奏はプロのミュージシャンの方に依頼しましたので、
素晴らしい演奏をして頂きましたが、とにかくヴォーカルが下手です。
そこで、私はいつかはこの「ビルかんのファーストアルバムー木馬ー」を、歌の上手い方に歌ってほしいと思っています。
予算の問題が解決すれば、本当に歌の上手い方に歌ってほしいです。

私の様な薄給のサラリーマンにとって、CD制作とは予算との戦いです。
地道に貯金して、製作費を捻出するしかありません。
もちろん、この「ビルかんのファーストアルバムー木馬ー」が売れてくれれば、それで、予算の問題は解決しますが、
現実はそう甘いものでは無いことは、充分に承知しております。
大スターのCDですら売れない時代に、素人の自費制作のCDが簡単に売れる訳がありません。
ですので、また薄給の中から地道に貯金して、いつかそんなに遠くない未来に歌の上手い人に歌ってもらいたいと思っています。

更に私には夢の続きがあります。
実はセカンドアルバムもサードアルバムも作る予定で、曲も歌詞もすべて完成しております。
あとは、制作費の問題と小濱先生とプロのミュージシャンの方に また引き受けてもらえるかという問題だけです。

セカンドアルバムはファーストアルバムー木馬ーの延長線上の様な バラードアルバムで、サードアルバムはロックアルバムになります。
セカンド・サードともに、全曲、曲も歌詞も完成しています。
自分で作った曲の中で「いい」と思った曲がセカンド、サード用にとってあります。
ですので、是非セカンドアルバムもサードアルバムも制作したいです。

私が約30年前に、作った曲の中で「いい」と思った曲だけを 出し惜しみせずに、
3枚のアルバムに全て注ぎ込もうと思っています。

長くなりましたが、ビルかんのファーストアルバムー木馬ーをどうか暖かい目で見て下さい。
ヴォーカルが下手、という問題を抱えていますが、約3年の歳月をかけて、一生懸命作りました。

もし、このビルかんのホームページを見て下さって、試聴コーナーで 「ずっと君だけは」と「木馬」を聴いて下さって、
CDを買って下さったら本当に嬉しいです。あとの6曲も自分ではいい曲だと思っています。

では、またセカンドアルバム、サードアルバムでお会いできる様に頑張ります。今後ともよろしくお願いします。